2019年04月09日
中腹より上でカタクリの群生が見ごろ!



2014年03月29日
雪割草に続きカタクリも続々と開花!
今週に入ってからずっと暖かい日が続いたので、弥彦山の中腹より下では雪割草が見頃となっています。陽当たりの良い南側斜面ではカタクリも続々と咲き始めましたが、群生となって見ごろを迎えるのはあと1週間程先となりそうです。
週末で天気が良くなると八枚沢登山口は大変混雑するため、今日は黒滝城趾の南沢の道を見てきました。こちらは沢沿いに上がるため、他のルートと少し植生も違います。今は雪割草に続いてショウジョウバカマが目立っており、これからカタクリやニリンソウ・スミレ類が増えてきます。この他、キクザキイチゲ、コシノコバイモ、ホクリクネコノメ、エンレイソウなどが見られました。剣ヶ峰頂上のカタクリの群生も見ごろはあと1週間位先となりそうです。

・ショウジョウバカマ ・スミレサイシン
・ホクリクネコノメ ・ヤマネコノメソウ
・コシノコバイモ ・キクザキイチゲ
・ニリンソウ ・アオイスミレ
・ナガハシスミレ ・黒滝城址へは麓集落から先は3/31まで車両通行止め
2014年03月23日
国上山にも春の訪れ!
なかなか時間がとれず、夕方にちょっとだけ国上山の様子を見てきました。
国上山一帯には既に雪はなく、今はオウレンが群生になり始めていました。雪割草は剣ヶ峰分岐周辺とちご道の一部に咲き始めており、ツボミもたくさん見られたので、今後お天気がよければニッコリと出迎えてくれるでしょう。カタクリも国上寺のすぐ裏手でツボミを確認出来ましたが、殆どはまだ葉っぱが出始めたところです。雪割草の見頃は今週末位から、カタクリの見ごろは来週以降なりそうです。
・オウレンが盛りとなり群生となり始めています。
・国上寺裏手で見られたカタクリのツボミ。 全体的にはまだ葉っぱのみ。
・雪割草、まだ咲き始めの段階。
・雪割草、剣ヶ峰分岐周辺やちご道で今週末位から見ごろか?
・ショウジョウバカマ、ルート上で1輪のみ発見、全体的にはまだツボミも少ない。
・キクザキイチゲ、ちご道側から開花。
2012年04月17日
剣ヶ峰頂上などでカタクリ群生が見ごろ!
ただし、4/30まで県道麓-野積線が通行止めの為、麓集落から歩かなくては
なりませんので、ご注意ください。



トキワイカリソウ
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一方、弥彦山の方も雪解けが進み、9合目の妻戸尾根分岐点までは、裏参道、
雨乞尾根、妻戸尾根の各ルートとも登山道の雪はほとんど無くなりました。
ただ、そこより上はまだ残雪があり、雪解け水でぬかるんでいる箇所も多く
ありますので、ご注意を。
つい先日まで雪があった上の方では、まだ雪割草が新鮮で元気です。




キバナノアマナ

ナガハシスミレ

妻戸尾根分岐の手前の様子
2011年04月01日
黒滝城址・剣ヶ峰より花便り
来週の4/6(水)にもう一度このルートから猿ヶ馬場~雨乞山~八枚沢を経由するコースを歩く予定です。同行を希望される方がいらっしゃいましたら、上州苑の入浴休憩込みでお一人様500円にて承ります。前日までにお電話(0256-94-2114)またはメール(yujitoku@internet025.ne.jp)にてお申し込みください。大まかなタイムスケジュールは、以下の通りです。
9:30JR弥彦駅集合→マイクロバスにて黒滝城址入口まで移動→南沢の道から
上記のコースでトレッキング開始→八枚沢13:00→上州苑13:30着
私1人の道案内となりますので先着10名様位に限らせていただきます。予めご了承ください。
写真撮影しながらゆっくり進みますが、コースの前半は沢伝いに行くルートで幅員も狭く危険な箇所もありますので足腰に自信のない方は御遠慮ください。念のための保険は各自でお願い致します。昼食は上州苑の休憩室で麺類等の軽食も用意できますが、お持ち込みも自由ですので、どうぞ遠慮なくお弁当などご持参ください。
・コシノコバイモ ・雪割草


・雪割草 ・雪割草


・ショウジョウバカマ ・ホクリクネコノメ


・キクザキイチゲ(剣ヶ峰) ・カタクリ(剣ヶ峰・南斜面)


・エンレイソウ ・ケアブラチャン


2010年04月07日
黒滝城址トレッキングツアーNo.2 剣ヶ峰でカタクリの大群生



2010年03月31日
黒滝城址トレッキングツアーNo.1
ツアーの第1回目が開催されました。当日は朝から快晴となったのですが、前夜からの降雪で
登山道だけでなく舗装路上にも積雪が残る生憎のコンディションとなってしまいました。
そのため、大幅なコース変更を余儀なくされ、途中に沢渡りや滝のすぐ脇の岩場を通らなければ
ならない南沢の道を回避して舗装路の林道を通って黒滝城址まで行き、先に史跡解説を実施、
午後から国上山・蛇崩れ経由で下山する行程となりました。それでも、陽当りの良いところでは、
雪割草・カタクリ・ショウジョウバカマ・コシノチャルメルソウ・アオイスミレ・ホクリクネコノメソウ・
ヤマネコノメソウなどが見られ、雪の中から姿を現す花の様子を楽しむことも出来ました。
次回、お天気が良くなって剣ヶ峰のカタクリの大群生が見られることを祈っております。




ヤマネコノメソウ カタクリ


雪割草 雪割草
2010年03月16日
国上山はオウレンの群生が盛り!
3月末までのシャトルバスは、午前・午後の2便運行するので、少し強行軍となりますが1日で弥彦山と国上山の2つを巡ることも可能です。例えば、「8:45弥彦駅乗車⇒バス⇒9:35裏参道登山口下車→裏参道ルート→清水平→山頂→弥彦山ロープウェイ→弥彦温泉街で昼食→13:00弥彦駅前乗車⇒バス⇒13:30国上寺登山口→国上山山頂→剣ヶ峰→南沢の道→さくらの湯で入浴休憩→16:05さくらの湯⇒バス⇒弥彦温泉」といった具合に。


オウレンの群生 国上寺・右側の鳥居が登山道入口


雪割草 キクザキイチゲ


カタクリのツボミ ショウジョウバカマ
2009年07月16日
鈴なりのヤマユリ
そのほか城址内の遊歩道には、オカトラノオ、ホタルブクロ、ネムノキ等が咲いている他、特色あるものとしてウラシマソウの実(トウモロコシや蛇の頭にも似ている)やオオウバユリのツボミが大きくなっていました。鷲沢の井戸~吉傳寺平一帯には、オオウバユリの群落があり、今月末頃に一斉に咲き始めることでしょう。

・鈴なりに花をつけるヤマユリ


・大蓮寺曲輪から越後平野を望む ・普通のヤマユリ


・ネムノキ ・オカトラノオ


・ウラシマソウ(実) ・ホタルブクロ


・オオウバユリ(ツボミ)
2008年06月15日
黒滝城と上杉家
長文になりますがお許しください。

(↑クリックで拡大表示)
標高246mの黒滝城は、中世の動乱期に「黒滝要害」と呼ばれ、北陸街道の軍略上の要衝として重要な役割を果たし、守護上杉氏直属の要塞でした。また、若き日の長尾景虎(後の上杉謙信)が、越後の国人領主の支持を集めるきっかけとなった城です。築城の年代は不明ですが、鎌倉時代には小国氏一族が在城したようです。
戦国時代に入ると越後守護の上杉氏と守護代長尾氏との対立が激化、長森原の戦い(1510年)で、長尾為景(景虎の父)が守護上杉顕定を自刃に追い込み、事実上越後は守護代の長尾氏の支配下に置かれることとなります。
天文5年(1536年)、為景は長男の晴景に家督を譲って隠居し1543年に没します。為景の死後、これを待っていたかのように国人領主たちの叛乱が相次ぎ、晴景はこれを抑えきれず、春日山城下の林泉寺にいた当時14歳の弟の景虎(後の上杉謙信)を還俗させて栃尾城に配置しました。
当時の黒滝城主「黒田秀忠」は三条城主長尾俊景らとともに越後守護代長尾晴景に反抗し挙兵したことで、弟景虎軍により1546年に一族もろとも討ち果たされました。
これで景虎が揚北や越後中郡の諸将の支持を得たことで、今度は兄晴景が景虎に対して危機感を抱き、景虎討伐軍を出陣させます。
景虎は米山の戦いで討伐軍を破り、春日山城下に迫りましたが、守護上杉定実が調停に入り景虎が晴景の養子となることで決着、守護代となったあとの景虎は春日山城へと移ります。守護上杉定実に跡継ぎがいなかったため、景虎はやがて上杉の名跡と関東管領を引き継ぎ、政虎→輝虎→謙信と名を変えていきました。
黒田氏討伐後の黒滝城主は上杉家の重臣山岸光祐で、以後山岸秀能、村山慶綱らが城主となりました。 ちなみにこの頃の山岸氏は同じ弥彦村にある桔梗城の城主も兼任していたようです。
上杉謙信には実子がなく天正6年(1578年)に急死すると、二人の養子喜平次景勝と三郎景虎が家督をめぐって対立した御館の乱が勃発します。御館の乱は、初めは景勝と景虎との権力争いでありましたが、後に景勝の反対勢力の制圧へとその性格を変えていきます。景勝は謙信の死後3年にしてようやく敵対勢力を制圧し、中郡まで統一することが出来ましたが、黒滝城主山岸氏は父子で景勝方に味方し軍功をあげたようです。
御館の乱後、景勝政権の中枢は直江兼続を筆頭に上田衆で固めていきます。当時の家臣たちは、景勝を「御屋形」、兼続を「旦那」と敬称し、事実上、二頭政治に近いものでありました。1582年、織田信長軍の北征に窮地に立たされますが、本能寺の変により信長が自害したため上杉家は九死に一生を得ます。その後は、豊臣秀吉に臣従するかたちで後に豊臣政権の五大老の一人となります。
慶長3(1598)年、秀吉の命により上杉景勝は突然会津へ国替えとなります。この会津移封により山岸氏一族もこれに従い黒滝城は廃城となりました。
山岸氏、村山氏の支族は、この地に残り、現存する山岸・村山の集落名はその名残りであると伝えられています。

黒滝城の城山(246m)には天神郭、大蓮寺郭、吉傳寺郭、北は城入の沢を隔てて幕内山、西は剣が峯砦(292m)、南は峻険な蛇崩山、東方は蒲原平野を眺望でき、戦国の時代では中越を牽制する重要な戦略的拠点でありました。
天神郭下段には櫻井戸と呼ばれる大井戸の跡があり、この井戸は豊富な清水が湧き出て、山城に欠かせない水便でした。城岩北側に黒い岩壁から流れ落ちるのが黒滝で、城名もこの滝に因んだものと伝えられています。
昭和50年11月弥彦村文化財として指定され、黒滝森林城跡公園として整備されています。
弥彦村ホームページ「弥彦歴史探訪・上杉謙信」
2008年06月11日
ウツギが満開!
名前の由来は、茎を切ると中の髄が「中空」になっていることから「空木(ウツギ)」と呼ばれました。また、卯月(旧暦の四月)に咲くことから「うづき」~「ウツギ」となったとする説もあります。
今回は、麓地区から黒滝城趾へ向かう途中の様子です。車の往来が殆どありませんので、野鳥のさえずりを堪能しながら清々しい気分に浸れます。
オドリコソウ、ノリウツギ、エゾアジサイ、イタチハギなどの花の他、ヤマグワ、ニワトコの赤い実がみられました。
次回は、来年のNHK大河ドラマ「天地人」の舞台となる上杉家とも縁があり、戦国の時代まで中越地方を牽制する重要な拠点であった黒滝城について触れてみたいと思います。(黒滝城は上杉景勝の会津移封に伴い廃城となりました)
・ウツギ


・オドリコソウ ・ノリウツギ


・エゾアジサイ ・イタチハギ


・ニワトコ ・ヤマグワ


2008年03月30日
国上山・黒滝城趾周辺も見頃に
水際だけに湿地を好むショウジョウバカマが多く、雪割草、カタクリ、キクザキイチゲに続いてホクリクネコノメやニリンソウ、葉わさびなども咲いていました。国上山も既に雪割草・カタクリともに楽しめますが、北側の斜面でしたのでまだまだこれから花の数は増えてくるものと思われます。
・雪割草 ・ショウジョウバカマ






・ホクリクネコノメ ・ニリンソウ


・キクザキイチゲ ・葉わさび


・国上山北側斜面の雪割草




※弥彦山一帯は国定公園の特別地域に指定されており、自然公園法【第13条3項】の規定により、許可なくして雪割草(オオミスミソウ)やカタクリなど指定植物の採取は禁じられております。違反者には、六ケ月以下の懲役又は五十万円以下の罰金が課せられます。トルのは写真だけにとどめて自然保護にご理解とご協力をお願い致します。